2017年2月17日金曜日

谷口ジローの事。(敬称略)
























 やっと書けそうなかんじに落ち着いたので。

 高校生のころに「ナックルウォーズ」ってマンガがあった。
好きだったがエンディングが少々、というか
凄く唐突なんだが、でも好きだった。
原作者は狩撫麻礼、作画者は谷口ジロー。
当時の谷口ジローの絵は無骨で不器用で、そこに惹かれた。
線の質はシャープというよりは丸い。
すごくうまい作家ではない。ごつごつしていた。

 断続的に発表されていた関川夏央原作の「事件屋稼業」も
好きだった。関川さんのユーモアを基調とした
どこか寂寞としたかんじがたまらなかったし、そういう時代の
流れも引きずっていたと思う。当時売れていたマンガとは
一線を画す、ひらたくいうと古い劇画の影を持ちつつ
でもなぜか目を離せない存在が谷口ジローだったと思う。

 高校卒業して東京にでてきて、初めて会ったプロのマンガ家は
「ウイングマン」開始前夜の桂正和だった。
そして21歳の時に2番目に出会ったマンガ家が谷口ジローだ。
初めて描いた16ページのマンガが掲載された雑誌の作家陣に
谷口ジローの名前があったとき、興奮を抑えきれなかった。
担当が、後に「Begin」「CarEX」で相棒のような存在に
なるDAVE鴫原(外国の方じゃないが)という共通点があった
ので、というより鴫原さんが強引に谷口ジローを説き伏せて
新作描いてもらったんだぜ!おまえのシゴトが終わったら
谷口ジローに会わせてやるよ!と大声でいうので
やったー!と大声で返事をした。
 そして後日都心からちょいと離れた谷口ジローの仕事場を
訪問した。ドアを開けてくれたアシスタントのような
控えめな男性の案内で中にはいった。
谷口ジローの仕事机を前にして緊張はピーク。
そうしたらそのアシスタントのような男性が谷口ジローの
仕事机の椅子に腰掛けて「みたよ。寺田くんのマンガ」
って言う。
わー。
ア、アシスタントの方じゃなかった!谷口ジローだった!

 頭ではわかっているのに、マンガ家自身と作品のキャラを
脳内のどこかが同一視してた。「事件屋稼業」の深町丈太郎
や「青の戦士」の暗い目をしたゴツい男が谷口ジローだと。
 実際の谷口さんは物静かでやさしく明るい目をされてた。
谷口ジローが目の前でオレの絵を褒めてくれてた。
こんな虫けらみたいな、なにものでもない若僧に
同業者として分け隔てない姿勢で接してくれてた。
 この瞬間から、オレは谷口さんを師匠にすることにした。
アシスタントをする、とかじゃなくて一生私淑していこうと
決めた。ずいぶん後になって谷口さんにもそう言った。
「えー勘弁してよぉ〜」と迷惑そうに笑ってらした。

 巷間では谷口ジローを、絵がうまい、とか技巧派とか
ひらたくいうが、それは違うと思う。
いや違わないのだが違う。
谷口ジローは冒頭にも言ったが、不器用でけして巧みな
絵の持ち主じゃなかった。綺羅星のような才能を湯水のように
使えたひとじゃない。
 長い長い時間と線の積み重ねで、地味に地味に画力とマンガ力を
あげていったんだ。
 毎日毎日仕事場に座って、ひたすら手を動かして、考えて、
悩んで、そしていつだって高みを目指したひとです。
歩くひととは谷口さんのことだ。
いつだって尊敬してきました。
オレはまじめさの足りない不肖の弟子です。
「だめだよ寺田くん。ちゃんとやんなきゃ」って
たまに笑いながら電話口で言ってくれてた。
努力だけでも、才能だけでも、どちらか一方だけでは
長くは続けていけない世界だけど、それでも諦めないで頂きを
目指す。そういう姿勢を教えてくれたひとだ。

 25,6年前かな、オレがよく行ってた近所の焼肉屋に
谷口さんと行った。出てきたコムタンスープをひとくち啜って
「寺田くんはいつもこんなうまいもの食べてるの!?」
と少年のように叫んだ師匠の笑顔を今もいつでも思い出せる。