2017年7月18日火曜日

ロメロ。

























ジョージ・A・ロメロ監督が亡くなったニュースで
もうゾンビになりそうなワタシです。
ジャンルを超えた映画を撮れる監督はそんなに多くないと
思いますが、ロメロ監督はその中の希有なひとりだったと
かんがえる次第です。「ゾンビ」はホラーを超えた映画だし
「ゾンビ映画」というジャンルを作ったひとでもあります。
そしてジャンルをつくるひとはいつだって偉大なる
インディーズであるということ。
なぜなら誰の真似もしないから。
「ゾンビ」以降のゾンビ映画はすべてロメロに回収される。


2017年7月2日日曜日

トギセンとイベントのおしらせ






















今日は都議選でした。
朝からてくてく近くの投票所の小学校までいって
ザクっと投票して、すこし歩いて仕事に戻った。
玄関を出たときはすこしすずしいな、とおもった気温は
午前9時まえにしてすでに皮膚にまとわりつくような
湿度をともなって上昇気味だった。

東京ではいろんなものがグダグダになっているけども
しゅくしゅくと自分のことを為していきたいものだなあと
シャワー浴びて着替えてコーヒー淹れて机の前に座って
おもっている。

とか、悠長にいってる時間はぜんぜんなくて!
もーホントにいいかげんにしろよ!じぶん!と
毎日じぶんでじぶんのケツをひっぱたいてますよ!
もー、、、、がんばりますよ。
各方面にはご迷惑をおかけしております。

室内サイクリングを再開しました。
デアデビルのシーズン2を観ながらローラーまわしてる。
あとはえーっと
あ、東京でも「俺たち!ピラミッド」の発売記念イベント
やりますよ。
7がつ30にちです!

https://twitter.com/maron_rikiya/status/880405478471213056

2017年5月9日火曜日

月光に吠える



















3月にパリのマンガ書店でサイン会やらせていただき
先週は韓国のソウルのマンガ書店でサイン会してきましたよ。
日本での危機あおり感とウラハラに
ソウルの街の平和っぷりにほっこりしつつ
うまいものたらふく食べてきたのである。

ソウルの友人に「北朝鮮についてはソウルでは
どんな雰囲気なのか」と訊くと、とにかく韓国の
大統領選の時期には北朝鮮が示威行動をするのである。
それはいつものことなので正直お祭りみたいなものです、という。

もちろん政治的な国同士のやりとりの緊張感みたいなのは
核問題を踏まえてシリアスにあるんだろうけど、それにしても
日本でのあおりっぷりとは、正直違いすぎて
不思議な感覚ではありました。ここらへんもっと
勉強しないとよくわからない。
外に敵を作って危機感を高めて国内の結束を強める、
みたいなことは歴史上事例がありまくるわけだけど
現実の時間でそういう渦中にいると実際よく見えないことが
多すぎる。「歴史」となってはじめてわかる河の流れが
河のど真ん中で溺れまいと懸命にばちゃばちゃやってると
見えるわけないからだ。だからこそ、両岸でナニが起こってるのか
知れる限り知ろうとする。
状況が見えないのはとても不安だから。
それでも同じ絵描き同士は絵を介しては、まったくもって
平和に繋がる。個人のつながりはいつだって国を越える。

もちろん心の奥底をお互いほじくり返せば、理解不能な部分が
あるでしょう。でもそれは日本人同士だってあるしね。
友達同士だってある。だったらわかりあえる部分だけで
繋がっていけばいい。
ニホン、アメリカ、韓国、フランスと、訪ねていけば
利害関係なく笑顔で迎えてくれる友人がいる。
そういうことが大切だなあと、いつも思ってる。

ともあれソウルで鉄人Kim Jung Giとやったサイン会は
なごやかに進行して並んでくれた人もよろこんでくれて
いたように思う。
ソウルでもパリでも言葉も通じないのにファンが海外に
いる、というのは不思議なものなんであります。
ありがたいな。

ソウルの書店でサイン会を終えて、ヨコのテーブルで
取材を受けてる最中に、ふと記者さんのうしろに目をやると
谷口ジロー師匠の「千年の翼、百年の夢」の韓国語版が
棚にささっていて表紙の主人公がオレをみてました。
なんだか涙腺がいっしゅん緩みかけた。

2017年4月20日木曜日

そして4月

























こないだフランスに仕事で行ってたんですが
おとといは博多にトークとサインで行ってきました。
実にうろうろしてる。

博多には福岡アジア美術館でやってるルーブルNo9の巡回展で
行われたのであります。80人超えるくらいのお客さんに
来ていただきまして、ぼんやりしたトーク、そして
よぼよぼのサインをさせて頂きましたよ。感謝感謝。
博多に行ける方でルーブルNo9展をまだ未見の方はぜひとも。
フランス、日本のマンガ家の生原稿がつぶさに見られる機会は
そうそうないとおもいます。
といいつつオレの原稿はデジタルだがな!
appleからお借りしたiPadproで制作途中も会場で公開中。

んで渋谷でやってるバロン吉元寺田克也二人展バッテラも
残すところあと4日!きゃほう終わりますよ!
描きかけの絵は近日中にこっそり行って続きを描く。
なんというか無理矢理完成に持ち込まなくてもいいんじゃないか
というかんじに今なっておりますが、当座の線画の
ゴールくらいは見える形にしておく。

あとはとにかく各方面に迷惑をかけているので
粛々と仕事を健康的にしていく毎日です。

あ、今度の23日の日曜日、市ヶ谷の科学技術館である
スーパーフェスティバルでTシャツだの、サイン会だのが
あるので告知しろと主催のフューチャーから指令がきたので
ここに書いておきまーす。よろしくです。

2017年3月17日金曜日

バッテラ!















 順調に3月が2月の次にやってきました。
てゆーかもうなかばですけど。すると次は例年通りに4月に
なる予定です。4月だなーと思ってたらたぶん5月。6月ときて
7,8,9月は暑いなーとかぼやいてるうちに、さむいなーって
言い始めて秋も絶好調になったと思った瞬間年末ときてお正月です。

さて、展覧会やります。
渋谷のアツコバルーにて、バロン吉元+寺田克也の二人展
「バッテラ」が3月18日から4月23日まで開催。
くわしくはWEBで。 <ココ

バロンさんは以前オレが中野のジンガロギャラリーで個展やってた時
の公開制作のスペースにお越しいただいたのが初めての出会いです。
その時は入り口からちょっと入ったところに、ここまでラインを
引いていて、そのスペースの一番奥で絵を描いてるオレを動物園の
シロクマよろしく眺めていただく、という催しでしたが、颯爽と
そのラインも軽やかに越えテンガロンハットも粋な紳士が、
やあやあ!と入って来られたので思わず制止して、
すみませんこのラインからこっちには入ってこられないんですよ
と押し戻したオレにイヤな顔ひとつせず、
おお!ごめんなさい!気がつかなかった!
私はこういうものです!と名刺を差し出してこられたので
手にとって眺めてみたら「バロン吉元」とあったので、その場で
平伏して不明を謝りつつお知り合いに加えていただきましたよ。

終始にこやかにオレの絵を褒めてくれたので、この人は悪い人じゃ
ない、と本能的にすり寄っていったオレです。生き様が出る。
その後、時折ご連絡をいただいておりましたところ、ふたりで
ドローイングがしたいなあと仰り、いやーいいですねえ、と
軽く返事をしたところバロンさんの個展活動のプロデューサーの
エ☆ミリー吉元さんから連絡が入り、そしてバッテラへ、という
流れであります。光栄です。
70を過ぎてあの質量の絵を描き続けていらっしゃるパワーに
まず頭が下がります。そもそもオレが子供の頃にバロン吉元マンガに
燃えていたわけで、この巡りにしみじみ驚いているのだった。

2017年2月17日金曜日

谷口ジローの事。(敬称略)
























 やっと書けそうなかんじに落ち着いたので。

 高校生のころに「ナックルウォーズ」ってマンガがあった。
好きだったがエンディングが少々、というか
凄く唐突なんだが、でも好きだった。
原作者は狩撫麻礼、作画者は谷口ジロー。
当時の谷口ジローの絵は無骨で不器用で、そこに惹かれた。
線の質はシャープというよりは丸い。
すごくうまい作家ではない。ごつごつしていた。

 断続的に発表されていた関川夏央原作の「事件屋稼業」も
好きだった。関川さんのユーモアを基調とした
どこか寂寞としたかんじがたまらなかったし、そういう時代の
流れも引きずっていたと思う。当時売れていたマンガとは
一線を画す、ひらたくいうと古い劇画の影を持ちつつ
でもなぜか目を離せない存在が谷口ジローだったと思う。

 高校卒業して東京にでてきて、初めて会ったプロのマンガ家は
「ウイングマン」開始前夜の桂正和だった。
そして21歳の時に2番目に出会ったマンガ家が谷口ジローだ。
初めて描いた16ページのマンガが掲載された雑誌の作家陣に
谷口ジローの名前があったとき、興奮を抑えきれなかった。
担当が、後に「Begin」「CarEX」で相棒のような存在に
なるDAVE鴫原(外国の方じゃないが)という共通点があった
ので、というより鴫原さんが強引に谷口ジローを説き伏せて
新作描いてもらったんだぜ!おまえのシゴトが終わったら
谷口ジローに会わせてやるよ!と大声でいうので
やったー!と大声で返事をした。
 そして後日都心からちょいと離れた谷口ジローの仕事場を
訪問した。ドアを開けてくれたアシスタントのような
控えめな男性の案内で中にはいった。
谷口ジローの仕事机を前にして緊張はピーク。
そうしたらそのアシスタントのような男性が谷口ジローの
仕事机の椅子に腰掛けて「みたよ。寺田くんのマンガ」
って言う。
わー。
ア、アシスタントの方じゃなかった!谷口ジローだった!

 頭ではわかっているのに、マンガ家自身と作品のキャラを
脳内のどこかが同一視してた。「事件屋稼業」の深町丈太郎
や「青の戦士」の暗い目をしたゴツい男が谷口ジローだと。
 実際の谷口さんは物静かでやさしく明るい目をされてた。
谷口ジローが目の前でオレの絵を褒めてくれてた。
こんな虫けらみたいな、なにものでもない若僧に
同業者として分け隔てない姿勢で接してくれてた。
 この瞬間から、オレは谷口さんを師匠にすることにした。
アシスタントをする、とかじゃなくて一生私淑していこうと
決めた。ずいぶん後になって谷口さんにもそう言った。
「えー勘弁してよぉ〜」と迷惑そうに笑ってらした。

 巷間では谷口ジローを、絵がうまい、とか技巧派とか
ひらたくいうが、それは違うと思う。
いや違わないのだが違う。
谷口ジローは冒頭にも言ったが、不器用でけして巧みな
絵の持ち主じゃなかった。綺羅星のような才能を湯水のように
使えたひとじゃない。
 長い長い時間と線の積み重ねで、地味に地味に画力とマンガ力を
あげていったんだ。
 毎日毎日仕事場に座って、ひたすら手を動かして、考えて、
悩んで、そしていつだって高みを目指したひとです。
歩くひととは谷口さんのことだ。
いつだって尊敬してきました。
オレはまじめさの足りない不肖の弟子です。
「だめだよ寺田くん。ちゃんとやんなきゃ」って
たまに笑いながら電話口で言ってくれてた。
努力だけでも、才能だけでも、どちらか一方だけでは
長くは続けていけない世界だけど、それでも諦めないで頂きを
目指す。そういう姿勢を教えてくれたひとだ。

 25,6年前かな、オレがよく行ってた近所の焼肉屋に
谷口さんと行った。出てきたコムタンスープをひとくち啜って
「寺田くんはいつもこんなうまいもの食べてるの!?」
と少年のように叫んだ師匠の笑顔を今もいつでも思い出せる。





2017年2月12日日曜日

谷口さんへ


オレが腹の底から師匠と呼ぶのは谷口さんだけです。
いままでありがとうございました。


寺田克也