2012年3月19日月曜日

えのねだん。























もともと絵に値段はないので、自分の絵を値付けしないといけないときは悩むけど、まーこんなところだろうってのは経験から出せる。
まちがえちゃいけないのはイラストというのは基本、頼まれて描いた絵に対して使用料として支払い頂くモノで、絵そのものの価格ではない。100万円でやった仕事の絵でも8000円の絵でも、それは使用する本、雑誌、広告、商品など媒体の予算から割り出される価格なわけです。
だから生の絵を売るのとはちがう。もちろん知名度とかもバロメーターとして価格に反映はされるけども、やはり絵自体の価値というものを推し量るのが大切になってくるのでむずかしいのです。オレは画家ではないしね。

去年アメリカでやった個展では展示した絵はほとんど売れたんだけど、その時はギャラリーの人といっしょに値付けしたわけです。イラストレーターとしては経験あっても、生の絵を売るというところでは経験がほとんどないので、そーゆーのも加味されたり、絵それ自体だと画材、額装のレベルでも値段が出てくる。
そこのギャラリーは若い人の絵を展示する主に若い層向けの場所なので、ばか高い値段つける場所じゃないし、オレ自体にそんな価値はまだないわけです。なのでカンとしては自分だったらこの絵にこのくらい払えるかなーというあたりを薄目で決めていく。ギャラリーの人が丁度いいね、と言ってくれたら当たってるし、高いときもあるし低いときもある。謙遜しても始まらないので、これは他人の絵である、という視点で値付けした。

これは手元に置いておきたいかなーって絵にはわざと高い値段をつけることもあるし、手間がかかっていてもその手間より安い値の絵もある。いろいろある。
値付けが正解だったかな、というのは結局ショーが終わった後の売れ方でわかる。去年のショーではほとんど売れたので、まあ適正だったんだろうと考えるわけです。一番高い絵はB1くらいの水彩紙に紙用マッキーで描きこんだ絵でこれが5000ドル。
43万円くらいか。
これは正直売れないでいいかなと思ってつけてた値段なんだけど売れたのはうれしかった。イラスト仕事で依頼がくると大変うれしいわけですが、こうやって生の絵が売れるのもまた違ったうれしさがあるんだなあと感じたりした。

このくらいの絵を年に10枚20枚描いて、その値段で売れればそれだけで生活できるなあと皮算用したが、いつも売れる絵が描けるとは限らないし、だいたいその時のレベルの絵を1年で10も20も描けるのかというと無理かなーと思ったりするのであった。
まあでも3,4年に1度は描き溜めてショーをするというのを続けてみようかなと思ってはいるのであります。
今はコンスタントに仕事の依頼があって生活してるけど、やっぱり徐々に減っていくものだろうと思ってるし、そうなった時に生活の道筋は立てておかないと死ぬしな。
絵を描いて生きていく、という根本的な部分さえクリアであれば、その範囲内でイラストレーターだろうがマンガ家だろうが画家だろうが看板描きだろうがいいのだった。
その中でベストのモノを作る、という理想はどこだって変わらないわけです。

個人同士で取引するデジタル素材売買システムgumroadでデジタルとはいえ原画を2ドルで売ってみたのは、その絵自体の価格というよりは、絵をオリジナルサイズで見たい人の為のお試し代金、のような感覚で。
普通の人がデジタルの原画を持っていても、それぞれのPC環境、ディスプレイサイズによって、感じ方も違うだろうし、正直どうしていいのってところもあったと思う。
写真や絵の出力をなりわいとしてる出力センターに持ち込んで、たとえば駅貼りくらいのサイズにプリントしてもらって飾るというのが、あのデータのたぶんベストの愉しみ方なわけだが、そうすると何千円かコストがかかるわけで、そうそうはみんなやらないだろうし、デジタル原画は意外と扱いに困るのかもしれない。

生の絵は手に取ることができるし、その絵そのものに描き手が向きあって触れていたという感覚も得られるし、汚れや経年変化や、画材の匂いや、膨大な情報がそこに込められてるからこそ貴重なモノになるわけで、その分値段もつけやすい。
デジタル全盛の時代になって、音楽などは逆にライブに回帰しはじめてる部分もあるし
いろんな場所で、生という価値観があらためて大事になってるんじゃないかとも思う。
とりとめなくなってきたのでこのへんで。